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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2868号 判決 1963年3月25日

事実

被控訴人(一審原告勝訴)は請求原因として、控訴人蒲郡合同運送株式会社は昭和三四年一二月二日訴外沼津芝弘機械株式会社に対し、振出日を白地にして、金額七万五千円、満期昭和三五年一月二〇日、振出地、支払地とも蒲郡市、支払場所東海銀行蒲郡支店なる約束手形一通を振り出し、被控訴人は、右手形を右訴外会社より昭和三四年一二月八日拒絶証書作成義務免除の上裏書譲渡を受け、次いで右手形を取立委任の目的で、訴外株式会社静岡相互銀行に裏書譲渡し、次いで同銀行より訴外静岡銀行に対し取立委任裏書がなされ、同銀行は、右満期に右手形を支払のため支払場所に呈示したが、支払を拒絶された。

被控訴人は右手形を受戻し、右裏書を抹消の上、現にこれを所持している。よつて、裏書人たる控訴人に対し、右手形金及びこれに対する満期の翌日である昭和三五年一月二一日より完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める、と述べ、控訴人の答弁に対し、

(1)  本件手形は、訴外星野昭典が振出人名義を偽造して振出したものではなく、同訴外人が正当の権限に基き振出したものである。即ち、本件手形が振出された当時、控訴会社における手形振出等を含む会計事務は、会計課が担当し、右訴外人は同課の課長であつた。控訴会社においては、代表取締役である兀下光幸は自らは、手形、小切手の振出行為はなさず、これらはすべて専務取締役の島崎三太郎並びに会計課長たる訴外星野昭典の両名に委託され、重要書類や会社の印章等が格納されている金庫の開閉も右両名にのみ許されていた。しかして、本件手形の振出は、会計課長である星野昭典がその権限内において、控訴会社の住所、社名、代表者名を表示したゴム印並びに所轄法務局に届出のある代表取締役の印章及び社印を使用してなされたものであるから、本件手形は正当な代理権限に基き振出されたものである。

(2)  仮りに右星野昭典にかかる権限がなかつたとしても、同訴外人は控訴会社の会計課長として、債務の支払のために約束手形を振出す権限を有していたことは明らかであるから、右手形の振出は権限を越えた代理行為である。しかるところ、本件手形は外見上控訴会社が正当に振出した手形と区別することはできない。被控訴人は右手形を裏書により取得した当時、右手形が外見上控訴会社によつて正当に振出されたものと信じて疑わなかつたものであるから、かく信ずることについては正当の理由があつたのである。よつて控訴人は、民法第一一〇条の規定により、本件手形行為につき責任を負わなければならない。

(3)  右主張が理由がなく、本件手形振出行為が偽造で無効なものであるとしても、被控訴人は、本件手形を受取人たる前記訴外会社より手形金と同額の金員を支払つて裏書譲渡を受けたものであるところ、裏書人たる同訴外会社は倒産して、同会社より右金員を回収することは不可能となつたから、被控訴人は右手形金に相当する損害を蒙つたことになる。右損害は、控訴会社の被用者である星野昭典が、その業務の執行に当り被控訴人に加えた損害であるから、使用者たる控訴会社は民法第七一五条の規定により、右損害を賠償する義務がある、と主張した。

控訴人蒲郡合同運送株式会社は答弁として、控訴人は被控人主張の手形を訴外沼津芝弘機械株式会社に振り出したことはない。控訴人は同会社を全然知らないし、同会社とは何らの取引もない。右手形は、控訴会社会計係星野昭典が、控訴会社々長の不在中、恣に社長印を約束手形用紙綴一冊に盗捺し、これを利用して本件約束手形一通を偽造の上、訴外富永尚一郎に交付したものであると答え、

被控訴人の(1)ないし(3)の主張事実を否認し、

(1)  訴外星野昭典は、会社を代表して手形を発行する権限は持つていない。上司の命令により、個々の手形の作成行為をいわゆる事務として取扱つていたにすぎないものである。

(2)  仮りに本件手形の振出が、被控訴人主張の如く星野昭典によつてなされた権限踰越の代理行為であるとしても、被控訴人は控訴人に対し、民法第一一〇条に規定する表見代理の主張をなし得ない。けだし、同条にいう第三者とは、その無権代理行為の直接の相手方を指すものと解すべきところ、本件手形は代理人たる訴外星野昭典が宛名を白地として、訴外富永尚一郎に交付し、富永はこれを訴外芝弘機械株式会社に交付譲渡し、次いで同訴外会社より被控訴人に裏書譲渡されたものであるから、右手形振出行為の直接の相手方は、訴外富永尚一郎であつて、被控訴人ではないから、直接の相手方でない被控訴人は、右表見代理の主張をなし得ない。のみならず、本件においては右富永は、星野が代理権限なくして本件手形を振出したものであることを熟知していたのであるから、直接の相手方である訴外富永においてさえ、控訴会社に対し表見代理の主張をなし得ないものである。

(3)  仮りに、被控訴人が訴外星野昭典の本件手形振出行為により、被控訴人主張の如き損害を蒙つたとしても、右行為は、同訴外人の無権限の行為であつて、控訴会社の事業の執行につき与えた損害ということはできないから、控訴会社には使用者として右損害を賠償する義務がない、と述べた。

理由

(手形金請求について)

本件手形が控訴会社の被用者星野昭典の作成に係るものであることは当事者間に争いのないところである。

被控訴人は、右星野は本件手形作成当時控訴会社会計課長として会社のため手形振出の権限を有し、右権限に基いて本件手形を振出したと主張するから、まずこの点について検討するのに、右星野が本件手形作成当時控訴会社会計課長の地位にあつたことは当事者間に争いがないけれども、同人が控訴会社代表者を代理して同会社のため手形振出行為を行う一般的な権限を有していたと認めるべき何らの証拠もないのみならず、本件手形の振出につき控訴会社からその代理権を付与されていたことを認めるに足りる証拠もない。かえつて(証拠)を総合すれば、星野昭典は控訴会社会計課長として現金の出納保管、帳簿の整理、社印及び代表者印の保管等の事務を担当していたほか、手形用紙に直接控訴会社代表者の記名押印を顕出する方法によつて控訴会社名義の手形を作成して受取人に交付する事務に従事していたが、控訴会社名義の手形を振出すのは、毎月の会社の経常的支出のためにする場合は別として、常に控訴会社専務取締役の事前の指示がある場合にかぎられ、自己の独断によつてこれを振出すことは許されなかつたものであるところ、昭和三十四年中かねて知合いの富永照喜から融通手形振出の依頼を受けるや、控訴会社のためかような融通手形を振出す権限がないのにこれを承諾し、ひそかに控訴会社代表者の印章等を冒用して同会社振出名義の多数の融通手形を偽造して富永に交付し、同人はさらに割引を受けるべく相次いでこれを沼津芝弘機械株式会社に交付していたが、本件手形も右訴外会社が富永を通じ継続的に入手していた多数の右手形のうちの一通であつて、振出日及び受取人欄白地のまま星野より富永に交付され、同人よりさらに右訴外会社に交付されたものであることが認められる。

次に被控訴人は、星野昭典は控訴会社の債務の支払方法として約束手形振出の権限を有していたものであるところ、本件手形の振出は右権限を越えてなされたものであり、しかも被控訴人が本件手形を取得するについては控訴会社が真実これを振出したものと信じ、かく信ずるにつき正当の理由があつたから、控訴会社は民法第百十条により本件手形振出人としての責めに任ずべき旨主張するけれども、被控訴人が星野において権限に基ずき本件手形を振出したものと信じてこれを取得したことは被控訴人の何ら主張立証しないところであるのみならず、本件手形振出行為の直接の相手方は富永照喜であつて被控訴人でないことは上記認定から明白であるから、被控訴人は本件手形の振出につき民法第百十条の適用を主張し得ないものであつて、被控訴人の右主張は到底採用することはできない。

右のとおりであるから、被控訴人の本件手形金の支払を求める請求はその他の点について判断するまでもなく失当とすべきである。

(損害賠償請求について)

(証拠)を総合すれば、かねて富永照喜の依頼により前掲星野昭典の偽造にかかる控訴会社振出名義の多数の約束手形を相次いで割引いていた沼津芝弘機械株式会社は、昭和三十四年十月頃被控訴会社に対し、控訴会社振出の約束手形を持参するから、これと交換に同額の融通手形を振出されたい旨依頼したので、被控訴会社はこれを承諾し、その頃同会社に金融を得させるため同会社宛に被控訴人主張の二通の約束手形を振出し、同訴外会社は約束どおりその後右二通の手形の見返えりとして本件手形を被控訴会社に裏書譲渡したこと、被控訴会社においては右訴外会社が交換を約した手形は真実控訴会社代表者の振出に係るものと信じて右二通の手形を振出し、それぞれの満期である昭和三十四年十二月十五日及び昭和三十五年一月十五日にその各手形金計金八十万円の支払をして振出人としての義務を履行したこと(ただし、本件手形金との差額金二万五千円はその頃右訴外会社から返済を受けた。)しかるに本件手形については被控訴会社においてその後到来した昭和三十五年一月二十日の満期に支払のためこれを支払場所に呈示したところ、これが偽造に係ることを理由にその支払が拒絶されたこと、以上の事実をそれぞれ認めることができ、右認定に反する証拠はない。

ところで、本件手形が星野昭典の偽造に係ることはさきに認定したとおりであつて、前記二通の手形の受取人であり、かつ本件手形の裏書人である沼津芝弘機械株式会社が昭和三十四年十二月頃倒産して無資産の状況にあることは、前記証人加藤貴一の証言により明らかであるから、結局被控訴会社は、本件手形金額に相当する資金の回収が不能となり、同額の損害を被つたものというべきところ、もし星野昭典による継続的な多数の手形偽造行使行為がなければ、右訴外会社において富永を経て星野作成の控訴会社名義の手形を継続的に入手し得ることを期待してこのような手形と交換の約で被控訴会社に融通手形の振出を依頼することもなく、従つて被控訴会社としても右依頼に応じて右融通手形を振出し、その支払をしながら資金を回収することができないことによる損害を被ることもなかつたのであるから、被控訴会社が右のような損害を被つたことは、星野の故意または過失による不法行為に基因するものといわなければならない。

そこで、右損害が星野において控訴会社の事業の執行につき加えたものとなし得るかについて考えるに、星野が本件手形振出当時控訴会社会計課長として金銭の出納保管、社印及び会社代表者印の保管等の事務を担当していたほか、専務取締役の指示に基ずき手形用紙に直接会社代表者の記名押印を顕出して控訴会社名義の手形を作成し、受取人に交付する事務をその職務としていたことは、さきに認定したとおりであるから、本件手形振出行為は、星野が本来の職務を逸脱しその地位を濫用してしたものではあるが、その行為は上記本来の職務と密接の関連を有し、外形上本来の職務の執行と見ることができ、従つて控訴会社の事業の執行についてなされたものといわなければならない。

右のとおりとすれば、控訴会社は星野の使用者として同人が被控訴会社に加えた前記損害を賠償すべき義務があることは明らかであるとしなければならない。

控訴人は、被控訴会社は前記訴外会社が事業不振の状況にあることを知りながら、あえて本件手形のごとき被控訴会社所在地からかけ離れた地を支払地振出地とする手形を取得したのであるから、本件手形の振出の真否を調査すべきであつたと主張し、その趣旨は控訴人において過失相殺の主張をするものと解するとしても、本件手形の支払地等が必ずしも被控訴会社所在地から、遠隔の地にあるものとはいえず、また、被控訴会社において右控訴人主張のような事実を知りながら、本件手形振出の真否を調査することなくこれを取得しまたは前記の支払をしたとしても、これをもつて被控訴会社の責めるべき過失とすることはできないから右主張は採用しがたいところである。

以上のとおりであるから、本件損害賠償の請求は、前記損害金七十七万五千円及びこれに対する前記二通の手形金支払の日(損害発生の日)の後である昭和三十五年一月二十一日から支払ずみまで法定の利率による年五分の遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容し、その余の部分は失当として棄却すべきものである。

よつて、原判決を変更すべきものとし、民事訴訟法第九十六条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

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